米ヶ森遺跡は、秋田県大仙市(旧協和町)荒川字新田表に所在する。秋田市から県南部をつなぐ国道13号から、角館方面へ分岐し盛岡へ向かう旧協和町の国道46号沿いにあり、雄物川支流の荒川の右岸、標高313mの米ヶ森南麓、標高約100mの河岸段丘上に立地する。
1961年に地元小学校教諭の長山幹丸により掻器が採集されていたことで米ヶ森遺跡の存在は知られていたが、酪農経営による造成工事の際に長山により石器6点が発見されたことで、具体的な地点が明らかとなった。それらの石器は冨樫泰時に持ち込まれ、旧石器時代の所産と判断され、県内でも重要な遺跡であることから、1969年、協和町教育委員会によって発掘調査された。その後、1970・1974・1975・1976年と、5次にわたって発掘調査が行われた。秋田県内では初めての旧石器時代遺跡の発掘調査である。
東西20m×南北20mの約400uから台形様石器・ナイフ形石器・彫器・掻器・細石刃・石核・細石刃核・剥片等が1,000点ほど出土した。
石器ブロックはA・Bの2か所が確認されている。規格的な小形の台形様石器が特徴的にまとまって出土し「米ヶ森型台形石器」と命名、それらを生産する「米ヶ森技法」が提唱された。また、ナイフ形石器には、東山型・杉久保型のほかに、両者の特徴をあわせもつ形態のものが見いだされ、「米ヶ森型ナイフ形石器」と名付けられた。以上の石器群の諸特徴とその平面分布の検討から、調査者の一人である冨樫泰時は当該石器群を3時期に区分している。つまり、米ヶ森型台形石器を主体とする時期、ナイフ形石器を主体とする時期、そして、細石刃を主体とする時期である。
石材は、眼下の荒川で採取されたと考えられる珪質頁岩を主体とし、ほかに黒曜石・玉髄により構成される。
遺跡は現在、道の駅協和の西側で緑地化されている。出土品は秋田県立博物館、協和町大盛館で見学することができる。
用語 | |
米ヶ森型台形石器 | 貝殻のような形をした小型石器。 |
米ヶ森技法 | 米ヶ森型台形石器の素材を剥がすための技法。ウロコのように連続して素材が取られた。 |