立美遺跡は富山県南砺市のほぼ中央部の小矢部川と山田川に挟まれた標高120〜260mの砺波平野に舌状に突き出た立野ヶ原台地に立地しており、標高193mの地点に位置している。
立野ヶ原台地では1970年から1977年まで大規模な農地改良事業として県営パイロット事業が実施され、遺跡の発掘調査が1972年から1977年までの6次にわたって富山県教育委員会によっておこなわれている。立美遺跡は第3次調査として1974年に1016uの発掘調査が実施されている。
出土した石器は1356点を数え、表面採集資料169点を加えた総数は1525点である。その85%が黒曜岩であり、頁岩、流紋岩、鉄石英が含まれる。石器群は槍先形尖頭器11点(うち接合例1組)、削器12点、掻器8点などである。二次加工の施された石器は総数48点にすぎず、他の石器のほとんどが砕片で、立美遺跡で石器製作がおこなわれていたことがわかるが、石核はほとんど出土しておらず、特に黒曜岩の石核は皆無である。黒曜岩の掻器、削器の表裏の大きな剥離面には擦痕のような細かな傷が多数認められ、二次加工の剥離面にはこうした傷は認められない。尖頭器母型にも石器表面の稜などに細かな傷や潰れ痕が認められる。大型剥片や母型の形態で長距離を運ばれたため表面に傷や潰れ痕が付いたと考えられる。こうした大型剥片や母型を遺跡で石器に完成させたため、細部加工部位には傷等は認められない。石器群は後期旧石器時代後葉の槍先形尖頭器の一群に対比されていたが、旧石器時代終末〜縄文時代草創期に位置付ける意見もある。
出土した黒曜岩の内16点が、蛍光X線分析でいずれも青森県深浦産の黒曜岩と同定されている。深浦産の黒曜岩は旧石器時代終末〜縄文時代草創期には富山県、静岡県、茨城県などの遠隔地にも運ばれている。
立美遺跡出土の石器の一部(尖頭器3、掻器3、削器2、錐形石器1、計9点)が2017年に富山県の有形文化財(考古資料)に指定された。
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青森県深浦町の岡崎浜海岸と六角沢河床で採取できる黒曜岩 |