日本旧石器学会
日本列島の旧石器時代遺跡

恩原1・2遺跡 Onbara 1 and 2 sites
後期旧石器時代 前半〜後半 33,000年前〜16,000年前

1 位置  Google 地図で表示

 恩原1・2遺跡は岡山県苫田郡鏡野町の恩原高原にある。中国山地尾根筋付近の標高約730mの高地で、鳥取県境に近い。遺跡は、本来、瀬戸内海へそそぐ吉井川の源流を望む平坦な台地上に立地していたが、現在は河川域が恩原貯水池となって、その南岸に位置する。

2 発見と調査の経緯

 1981年頃、日野郎氏が土器や石鏃等を採集し、遺跡を発見した。1984年から1997年まで、岡山大学文学部考古学研究室を中心とした恩原遺跡発掘調査団による発掘調査が実施され、表土層下の火山灰層中で後期旧石器時代に属する4つの文化層が確認された。報告書は、『恩原1遺跡』(2009)と『恩原2遺跡』(1996年)。

3 石器群の概要

 恩原1遺跡と恩原2遺跡の文化層の変遷はおおむね類似している。AT火山灰層より下位のR文化層(33,000〜28,000年前)は、より古い台形石器の時期と、より新しい石刃素材ナイフ形石器の時期とに細分される。後者には石囲い炉(写真1)や、 やはり炉跡らしい炭化物集中が多く伴う。AT火山灰層より上位のO文化層(約27,000年前)では、基部を細長く作り出したナイフ形石器が特徴。S文化層(25,000〜20,000年前)は横長剥片素材のナイフ形石器が主体で瀬戸内地方との交流を濃厚に示し、また、山陰地方と関係の深い石刃素材のナイフ形石器も含む。M文化層(18,000〜16,000年前)では、北方系の湧別技法による細石刃製作が行われた(写真2)。

 恩原1・2遺跡は、文化層の重複により旧石器人の生活の移りかわりをくわしく示し、また、中国・四国地方の各地から東日本の一部まで含んだ人間の移動の痕跡をよくのこす。

(稲田孝司)写真提供 岡山大学文学部考古学研究室


用語

文化層 考古資料を含んだ地層を意味し、一般に下層が古く、上層が新しい。文化層と文化層の間に無遺物の自然層があると、文化層の区分がいっそう明瞭になる。
AT火山灰 鹿児島湾北半部の姶良カルデラの地にあった火山から約28,000年前に噴出した火山灰で、本州やシベリア沿海州など広い範囲に降下した。狭い分布の火山灰層やそこに含まれる文化遺物の時期を広範囲で比較する際に、鍵層として役立つ。
石刃と横長剥片 石刃は、剥片剥離時の打撃方向に沿って細長く剥離した剥片で、長さが幅の2倍以上のもの。横長剥片は打撃方向よりもそれに直交した幅が大きい剥片。
湧別技法 北海道や東北地方などで発達した細石刃製作技法で、木葉形の両面加工石器の1側縁を削ぎ落とし、その平坦な面を打撃して細石刃を剥離する。西日本では、湧別技法とは異なり、一般的に円錐形の細石核から細石刃を剥離した。

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