日本旧石器学会
日本列島の旧石器時代遺跡

港川遺跡 Minatogawa site
後期旧石器時代 後半 約22,000年前

1 位置

 沖縄島南部、沖縄県八重瀬町長毛に位置する遺跡で、日本列島の旧石器人を代表する港川人の発見地として著名である。八重瀬町指定史跡。遺跡は、沖縄島南海岸に流出する雄樋川河口右岸の標高20〜30mを測る石灰岩台地に形成されている(写真1)。約1.5km北にはサキタリ洞遺跡(ガンガラーの谷内)があり、雄樋川(ゆうひがわ)流域一帯にはこの他にも多くの洞穴、岩陰遺跡が知られている。
 長毛は建築材として有用な石灰岩(通称:粟石(あわいし))の産地として知られる地域であり、後述するように遺跡の発見、調査は石灰岩の採掘と並行して行われた。

2 経緯

 当初は縄文時代晩期の遺跡として知られていたが、石灰岩採掘によってせん滅状態だったようである。1967年11月に那覇市の実業家大山盛保(おおやませいほ)(故人)によって石灰岩採石場内に開口するフィッシャー(裂罅:れっか)内から動物化石(イノシシ)が多く出土することが確認され、翌年1月には断片的な人骨も発見された。当時、沖縄のイノシシは、人が持ち込んだブタが野生化したものと考えられており、大山が発見したイノシシ化石や人骨についても、当初からこれらが更新世に由来すると認められていたわけではなかった。

 大山は家族や研究者の支援を受けて発掘を続け、1970年8月から12月にかけて、フィッシャー内の深さ約20mの地点から4体分の全身骨格を含む人骨群を発見した(写真2)。この際に、人骨とともに回収された木炭から放射性炭素年代測定が行われ、18,250±650 14C BP(TK−99)、16,600±300 14C BP(TK−142)という年代値が得られた。これによって、人骨が旧石器時代のものであることが確認され、イノシシについても従来の想定よりはるかに古くから沖縄に分布していたことが明らかになった。
 一連の調査の後、1998年から4ヵ年にわたって具志頭村(現八重瀬町)教育委員会による発掘調査が実施され、約9千年前の土器や港川人の時代の動物化石など貴重な資料が発見されている。

3 人骨群の概要

 港川人は1〜4号の4体分の全身骨格からなり、1号は男性、2〜4号は女性である。男性の推定身長は150〜155pと小柄で、特に細い上半身に対して下半身は比較的発達していた(写真3)。食べ物をかみ砕く咀嚼のための顔面構造は頑丈で、粗末な食べ物をよく噛んで食べる放浪性の生活を送っていたと考えられる(写真4)。
 遺跡の約2km西には八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館があり、港川人に関する展示コーナーも設けられている(月曜休館(月曜が祝日、振替休日にあたる場合は火曜休館)と祝日の翌日、慰霊の日(6/23)、12/28-1/4(年末年始))

(山崎真治)(写真提供 沖縄県立博物館・美術館)


用語

石灰岩 生物起源の炭酸カルシウムから成る水成岩。石灰岩層中に形成された洞穴や岩陰では、アルカリ分の作用で骨や貝がよく保存される。沖縄県には更新世の隆起サンゴ礁からなる石灰岩が広く分布しており、旧石器時代の人骨が多く発見されている。
フィッシャー 石灰岩層中に形成された割れ目のこと。裂罅(れっか)とも呼ばれる。

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