川向東貝津遺跡は愛知県北設楽群設楽町に位置している。遺跡の場所は、豊川支流の境川と戸神川が合流する中起伏山地の川沿いの台地となる境川右岸(標高約370m~380m)である。また、遺跡の西側には標高360m程度の小規模な台地が存在している
国土交通省中部地方整備局による設楽ダム事業の事前調査として、愛知県埋蔵文化財センターが発掘調査を2010年・2015年・2016年の3ヵ年おこなった。その調査の際、縄文時代草創期と後期旧石器時代の遺物が層位的に多数出土した。
縄文時代草創期の石器群は、遺跡の北側と南側に遺物集中が認められ、北側では木葉形尖頭器・尖頭器の母型を利用した円形掻器・削器、南側では木葉形尖頭器・有舌尖頭器・尖頭器の母型を利用した削器・打製石斧が出土しており、いずれにおいても木葉形尖頭器や削器類が出土しているが、南側では有舌尖頭器や打製石斧が伴っており、北と南で石器群の内容が異なる。さらに、尖頭器類は40点あまり出土しており、当該期の遺跡としては東海地方でも有数の出土点数を誇る遺跡である。
草創期の石器群の下層から出土した後期旧石器時代については、細石刃・細石核を中心とした石器群と周辺加工の尖頭器・縦長剥片・石核を中心とした石器群が出土している。特筆すべき点として、60個体以上におよぶ剥片や石核類の接合資料がある。遺跡内で活発に石器製作作業が行われたことがうかがえ、東海地方でもあまり類をみない貴重な事例となっている。
近年発掘調査がなされ、まだあまり知られていない遺跡ではあるが、東海地方では類をみないほど良好な接合資料と、層位的出土事例から、今後東海地方の後期旧石器時代を代表する遺跡となるであろう。なお出土遺物は、愛知県埋蔵文化財調査センターが保管、一部は奥三河郷土館の常設展示で見ることができる。
用語 | |||
縄文時代草創期の前半にかけて盛行した石器。名前の通り、木葉に似た形に仕上げ、両端を尖らせた石器。後期旧石器時代末から縄文時代草創期前半にかけて盛行し、槍先として用いられたと考えられる。東海地方では、このほか、茎部を持つ有舌尖頭器が、単独で出土する事例が多い。 | |||
カミソリの刃のような小型の石器。木や骨などの軸に複数を埋め込んで使用する。狩猟具の他、加工具としても用いられた。本州では、後期旧石器時代末に発達する。
| 細石刃を剥がすための塊。船底の形状や円錐形のものなどがある。
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