日本旧石器学会
日本列島の旧石器時代遺跡

出張遺跡 Debari site
後期旧石器時代 後半

1 位置


 出張遺跡は三重県多気郡大台町栃原にある。三重県南部の主要河川である宮川は、三重県と奈良県の県境の大台ヶ原山で生じ、蛇行しながら東へと流れ、伊勢湾に注ぐ。宮川に支流の濁川が合流する地点に形成された舌状の河岸段丘の先端部に遺跡は立地する(写真1)。

2 発見と調査の経緯

 1960頃に奥義郎氏によって発見された。三重県有数の規模の遺跡であることが知られていたが、橋の建設に伴う取付道路が遺跡中央を南北に通ることになったため、1976年7月から1977年8月まで発掘調査が行われた(写真2)。三重県内では数少ない旧石器時代の発掘調査例である。

3 石器群の概要

 発掘調査では、石器集中部を形成する20,955点の石器とともに、礫群と炭化物集中が確認された(写真3)。石器には他の時期のものが混在するものの、ナイフ形石器を主体とする後期旧石器時代後半期の石器群が大部分を占めると考えられる。


 ナイフ形石器は200点程度出土しており、基部の裏面に二次加工を行うものが多いのが特徴である(写真4)。刃部を丁寧に作った不正円形の搔器が一定量出土している。東海地方西部に特徴的な、基部に素材剥片の縁辺を残す形態の角錐状石器も含まれる。接合資料からは、縦長剥片を連続して剥離していることがうかがえる。
 使用されている石材は、大部分がチャートで、表面が白色に風化した石材がそれに次ぐ。両者とも隣接する河川で採集されたものと考えられる。
 礫群が伴い、ナイフ形石器、搔器などが出土していることを考え合わせると、遺跡内で食物の獲得・解体・調理、石器の製作などの活動が複合的に行われていたと推定される。
 出張遺跡の石器群は、評価は定まってはいないものの、東海地方西部の旧石器時代を考えるうえで極めて重要なものである。なお、主要な石器は大台町の日進公民館に展示されている。
(三好元樹)(写真提供 大台町教育委員会・田村陽一)


用語

礫群 拳大ほどの石がまとまって出土するもので、食べ物を蒸し焼きなどにした調理施設であった可能性がある。
ナイフ形石器 剥片の鋭利な縁辺を先端部に残して整形剥離された石器で、槍先や切削の道具として使用されたと考えられる。
掻器 調整剥離によって厚い弧状の刃部を作った石器で、獣皮の脂肪の?き取りなどに使用されたと考えられる。
角錐状石器 急角度の整形剥離によって一端または両端を鋭く尖らせた、断面台形あるいは三角形の石器。
チャート 放散虫、海綿、珪藻などの珪質生物遺骸が海底に堆積したできた珪質堆積岩で、微量成分により灰・褐・赤・黒・緑色など様々な色調となる。

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