日本旧石器学会

旧石器時代の教科書

1. 旧石器時代ってどんな時代? 2. 旧石器遺跡ってどんなところにあるの? 3. 旧石器にはどんな種類があるの? 4. 旧石器はどのように使われたの? 5. 日本列島にはいつ人類が来たの? 6. 旧石器時代はどんな環境だった?

旧石器時代はどんな環境だった?

答える人 工藤雄一郎(国立歴史民俗博物館)

■ はじめに

 日本列島の旧石器時代の人々は、現在とはまったく違う環境のもとで生活をしていました。当時は「アイス・エイジ」や「最終氷期」と呼ばれる、現在よりもはるかに寒冷な環境だったのです。
 ここでは、「旧石器時代」の環境について、現在までに分かっていることをご紹介します。

■ 地球の環境は10万年周期で変化

 図1は過去80万年間に地球上にあった氷(氷河・氷床)の量を示しています。グラフが上にいくほど温暖で氷が少ない時期(間氷期)、下に行くほど氷が多い時期(氷期)にあたります。一番左端の温暖な時期に現在のわれわれは暮らしています。これを見ると皆さんは意外に思うかもしれませんが、現在のような暖かい時期とても少ないのです。「氷河時代」と呼ばれるのはこのためです。そして、約1万年間の短い温暖な時期は10万年に一度しかありません。

 過去15万年間を拡大してみましょう。

 図2を見ると、13万年前くらいから地球は次第に寒くなり、2万年前頃に最も寒くなったことが分かります。一番最近の氷期であることから、「最終氷期」と呼ばれています。そして、急激に温暖化して現在と同じような気候になりました。日本列島の旧石器時代は赤で印を付けた場所にあたります。過去80万年間の地球の歴史を見ても、最も寒かった時代に生きていた人々、それが旧石器時代の狩猟採集民なのです。

■ 古環境を調べる

 旧石器時代の当時の日本列島はどのような環境だったのでしょうか。どのように過去の環境を調べることができるのでしょうか。それには、植物や動物の化石を探して、その種類を調べるのが最もよい方法です。

 湖の湖底には、過去に積もっていった土が残っています。この中には当時の植物の化石(花粉や種実、葉など)が含まれています。長野県の野尻湖では29mもの長さの湖底の土がボーリング調査で採取され、過去7万年間の環境の変化が明らかにされました(図3左)。

 旧石器時代人の遺跡が多く残る台地上にはほとんど「植物化石」は残っていません。しかし旧石器時代に川や谷があった場所は、地中に埋まってしまってからも地下水が多いので植物が分解されずに残っているため、当時そこにあった木の根株や葉、種実などの「植物化石」を見つけることができます(図3右)。

 こうした花粉・種実・木材などの植物化石は、過去にその場所にどのような森があったのかを知る重要な手がかりになるのです。どのような森があったのかが分かると、当時の気候が推定できます。そしてこれらの植物化石の「年代を調べる」と、旧石器時代人の中でも「いつごろ」の植物化石かどうかを正確に知ることができるのです(図4)。

図4 過去の環境を調べる方法 (左下の写真提供:吉田明弘、他は工藤雄一郎撮影)

■ 野尻湖が示す環境の変動

 日本の旧石器時代は今から約3万7千年前から約1万6千年前ごろにあたります。長野県の野尻湖湖底の土の花粉分析では、トウヒの仲間やモミの仲間などの亜寒帯性の針葉樹の比率が多く、現在の野尻湖周辺にあるコナラやブナなどの落葉広葉樹はとても少ないことが分かります(図5)。野尻湖(標高654m)に近い黒姫山には、標高1700mより高いところに亜高山帯(亜寒帯)の針葉樹があります。野尻湖よりも1000m以上高い寒冷な場所にしか針葉樹が多い森はないのです。そして、野尻湖の周辺には少なくとも4万年前ごろまではナウマンゾウやオオツノジカなどの絶滅してしまった大型哺乳類も暮らしていました。

■ 旧石器時代の森:富沢遺跡の埋没林

 宮城県仙台市の富沢遺跡では、旧石器時代のハンターのキャンプの跡だけでなく、旧石器時代の湿地林そのものが発掘されました(図6左)。およそ2万5千年前の樹木が、湿地に埋もれた「埋没林」として残っていたのです。木の種類を調べるとトウヒの仲間(トミザワトウヒ)が中心で、現在の東北では標高1200m以上、北海道東部や山間部に多い針葉樹の森と似ています。富沢遺跡の旧石器時代人はキャンプ地で焚き火をしながら石器を作っていました。針葉樹が多い湿地林のなかでシカなどの動物を追いかけていたハンター達が、一時の休息を取った場所だったのかもしれません(図6右)。

■ 旧石器時代人にはどんな植物が食料に?

 旧石器時代人が「どんなものを食べていたのか」を誰もが知りたいと思っています。しかし遺跡には証拠がほとんど残っていません。遺跡で見つかる石器をみると、狩猟具や動物の解体・加工に使う石器が多いため、動物は重要な食料だったことでしょう。秋に遡上してくるサケやマスなども食べていたことでしょう。一方、植物食の実態はほとんどわかりません。数少ない例では、新潟県の荒屋遺跡では焦げ付いたオニグルミの殻やミズキの種子が見つかっています。アク抜きが要らないハシバミやチョウセンゴヨウの実は重要な食料の一つになっていたでしょう。

 北海道のアイヌの人たちは約200種類の野生植物を食用にしていました。山菜やベリー類など数多くの植物が、旧石器時代人の食料になっていたことは間違いありません。しかし、土器を持たない旧石器時代人はアク抜きが必要なドングリはあまり食べなかったのかもしれません。



1. 旧石器時代ってどんな時代? 2. 旧石器遺跡ってどんなところにあるの? 3. 旧石器にはどんな種類があるの? 4. 旧石器はどのように使われたの? 5. 日本列島にはいつ人類が来たの? 6. 旧石器時代はどんな環境だった?

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