富沢遺跡は、宮城県仙台市太白区富沢、泉崎、長町南他に所在する。面積は90haである。仙台平野中部の名取川下流域の後背湿地に立地し、標高は8〜16mである。遺跡へは、仙台市営地下鉄南北線に乗って長町南駅で下車。周囲一帯が富沢遺跡である。そこから西へ5分歩くと、地底の森ミュージアム(仙台市富沢遺跡保存館)がある(写真1)。
1982年に始まる富沢遺跡の調査で、旧石器時代の遺構・遺物は、1988年3月、仙台市立長町南小学校建設に伴う第30次調査において、現地表下5mの層準から、20,000年前の後期旧石器時代の湿地林跡とその一角に一時的な野営跡が発見された(写真2)。湿地林跡は、調査区全域に広がり、樹木の幹や根、毬果、葉、草本の葉、昆虫、シカのフンなど、当時の自然環境がそのまま残されており、そのなかで人類の活動を考えることができる極めて貴重な成果となった。1988年8月、仙台市は、その重要性に鑑み、小学校建設地を遺跡範囲外へ変更して建設予定地を保存・整備することを決定し、その後、地下水位の高い遺構面を地下でそのまま展示する保存公開技術の開発がなされ、1996年11月、旧石器時代をテーマとする地底の森ミュージアムが開館し、現在に至っている。
(1) 自然環境と人類の活動痕跡:これまでの調査で湿地林跡は遺跡北西部の10数箇所で検出され、その面積は約10haに及ぶ。湿性な環境は、人類の長期的な居住に適していないが、1地点でだけ検出された野営跡は、当時の活動範囲を示す明確な痕跡である。
(2) 復元された湿地林:高木の主体が常緑性のトウヒ属と落葉性のカラマツ属(グイマツ)で、現在のサハリン南部から北海道北部の湿地林と類似しており、各種分析・同定を通して、当時の自然環境は、年平均気温で7〜8度低い亜寒帯性の気候が推定された。
(3) 復元された人類の活動:野営跡では70×80cm程の炭化物片集中箇所(焚き火跡)と、それを半径2.5m程で半円形に取り巻くように100点ほどの石器が出土した。折れたナイフ形石器2点が残され、石器製作が行われていることから、装備の更新が推定された。(4) 復元画の製作・公表:発掘された具体的な資料をもとに、湿地林のなかでの野営や、狩猟の様子など、旧石器人の行動を想定した復元画を適時製作し、公表してきた(図1)(絵:細野修一)。
(5)遺跡の保存・公開:特殊な建築設計・保存処理技術により、地底の森ミュージアム地下展示室で、湿地林跡と野営跡を発掘されたままの状態で公開している(写真3)。