日本旧石器学会

≪会長退任挨拶(2020年の所見)≫

2020年7月25日 
阿子島 香  

 このたび日本旧石器学会会則第6条により、任期を満了し会長を退任することになりました。2020年は本学会にとって特別の意味を有すると認識しますので、一言ご挨拶を述べさせていただきます。それは、旧石器捏造事件の発覚から20年という節目を迎え、旧石器時代研究者にとり自覚を新たにし、改めて考古学に対する信頼回復の状況を再確認していくべき時節であるためです。会長就任時の挨拶におきましても、同事件の「震源地」的な宮城県を基盤とすることにも言及した次第であります。本学会は、その反省に基づいて、国内外を問わず社会に開かれた学術的な議論の場を確立すべく、2003年12月に設立されました。

 20年という歳月は長いようで短く、当時の状況が今も眼前に蘇るような経験は、「関与遺跡」に関わりがあった研究者の多くに共有される記憶でもあると感じるところです。しかし、「経験の風化」ということにもまた、懸念があるかもしれません。時は流れて、学会構成員の世代にも大きな変化がありました。本学会の目的や意義は不変であると信じ、会長を拝命した際にも、地域学会・地域社会との連携、会誌の充実、データベースの拡充、学際性と国際性の一層の推進など、いくつかの目標を掲げて、多くの本会役員諸氏のまさに献身的なご協力のもと、微力ながら努力して参ったところです。

 世代交代は確実に進行し、事件の後に生まれ育った世代が既に大学の専門課程に進む時代となりました。当学会会員の意識も変化し多様化しました。任期中には後進の育成ということにも重点を置きたいと考え、学会賞の改定などが実現しました。今年のコロナ禍によって北海道で予定の研究大会は延期を余儀なくされ、新設の「若手奨励賞」第1回受賞者は、来年を待つこととなったのが残念です。

 ともあれ、本学会の設立にあたり最も重要であった「信頼回復」という課題は、年月の経過を超えて、今後も時代の流れと共に変容していく諸課題として、本学会の目標であり続けることでしょう。例えば、「科学的客観性と学問の自由」といった問題も、今後の前期・中期旧石器研究の展開、少数学説の並立という中で、科学者集団の遵守すべき諸原則の議論という文脈において、科学哲学的にも深く論じられていくべきでありましょう。学会活動において多様性が尊重されることは、学術分野としての健全な在り方と評価されてしかるべきでしょう。

 世代によって20年前は、歴史上の出来事となりつつある現状を認識するにつけても、非常に懸念されることがございます。それは、検証過程において膨大な量が生成された各種文書や各「遺跡」の個別資料、会議議事メモ等の保全継承ということであります。

 公文書管理法は定着してきましたが、日本社会は欧米やアジアの諸国などと比較しても、公的文書館(archives)という仕組みは未だ発展途上にあると言わざるを得ない現状です。ピルトダウン人の例は大袈裟かもしれませんが、旧石器研究にとどまらず、考古学、歴史学一般と、視野を広げても、この事件とその検証過程は非常に大きな社会的・歴史的意味を有するものと判断されます。関係した各自治体や研究機関において、関係職員の退職時期や文書保管年限、郷土にとっての「負の記憶」など、さまざまな理由で、歴史的意義を有する文書や記録が散逸、消滅していくことは、後世史家等による実証的な歴史的検証を不可能とします。学史上、決して消えることのない事件は、史料保存されるべきですが、関係機関や自治体部局での保管は、自覚ある担当者の個人的努力に頼るしかない現状と思われます。それぞれの場において、可能な方策で、可能な収蔵場所に、史料保存を計っていくことも、本学会に集う会員諸氏の賛同する方向ではなかろうかと考えて筆を措き、20周年での退任ご挨拶に替えさせていただきたいと存じます。

 最後になりましたが、本稿は2019年、2020年の総会に於きましての質疑を承けたものです。貴重な御意見・御質問をいただき有難うございました。

 なお会長退任後も、APAなどを担当する渉外委員会の委嘱委員としまして役員会にとどまり、微力ながら本会の発展に尽力していく所存です。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。


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