2009年6月27日・28日に鹿児島県霧島市鹿児島県立埋蔵文化財センターにおいて、第7回日本旧石器学会が開催され、総会、記念講演、一般研究発表、シンポジウム「南九州の旧石器時代石器群−「南」の地域性と文化の交錯−」ならびにポスターセッションが行われた。初めての地域研究会との共催であり、今後のモデルケースとなった。
大会1日目は、午前中に総会が行われ、各委員会の2008年度活動報告、2009年度活動計画が説明されるとともに、新たに「教科書問題」およびホーム・ページの作成管理などを所管する広報委員会の設置が提案され、了承された。また、委員会報告の中で、データ・ベース委員会から今年7月末には全都道府県の資料が揃う見込みであること、今年度内の刊行を目指して成果を取りまとめることなどが報告された。
午後からは、一般研究発表、記念講演、シンポジウム趣旨説明が行われた。一般研究発表は4本で、内容は調査報告1、研究報告3である。調査報告は2006〜2008年に行われた長崎県福井洞窟、直谷稲荷神社岩陰発掘調査の概要報告(川内野篤)である。研究報告の内訳は、国内2、西アジア1で、遺物分布の分析(絹川一徳)、実験的手法を加味した技術論(大場正善)、遺構の空間分析など(西秋良宏ほか)である。
記念講演は鹿児島大学大学院理工学研究科井村隆介氏により「南九州の環境変遷史」と題して行われ、氷期・間氷期のサイクルに伴う環境変動と火山噴火に伴う環境変動の二つの視点から旧石器時代から縄文時代前半期にかけての南九州の環境変遷史が述べられた。まず、最終間氷期から徐々に寒冷化し最寒冷期を経て縄文時代前期に至るまでの気候変化と植生変遷について概観し、最寒冷期には鹿児島市周辺で温帯針広混交林が成立していたと推定した。次いで、海水面変動と地形変化、動植物群の移動、分布について議論し、南九州の動植物相を考える上でトカラギャップの存在は大きく、少なくともこの10万年間に大きな陸橋が成立した地形学的な証拠はないこと、寒冷期には陸地が広がり海を越えて動植物の移動できる可能性が大きくなり、温帯系動植物は南下しやすいが、亜熱帯系動植物の北上は困難であることなどを説明した。最後に、姶良カルデラ、 喜界カルデラ噴火などの大規模火山災害に伴う環境破壊の規模、環境回復のスピードなどについて説明し、きわめて広範囲の地域が壊滅的な打撃を受け、人々の食生活スタイルを大きく変えざるを得なかったことが指摘された。
大会2日目はシンポジウムで、午前に基調報告、午後にパネルディスカッションが行われた。基調報告は5本用意され、南九州の石器群の様相について、後期旧石器時代前半期(鎌田洋昭)、後半期(馬籠亮道)、細石刃石器群(松本茂)の3時期に分けて概観した。また、周辺地域の様相として、韓国(張龍俊)、東南アジア(西村昌也)の後期旧石器時代の様相が取り上げられ、前者については九州との比較と関連が述べられた。また、宮田剛、杉原敏之、杉山真二、木ア康弘、佐藤宏之の各氏がコメントを行った。
討論会は3つの検討課題が設定された(司会:伊藤健・宮田栄二)。第1は「後期旧石器時代前半期と東・東南アジア」で、南九州の前半期初頭の石器群を中心に列島における編年的位置、南西諸島、沖縄の状況と南九州との関連、東南アジアとの系統関係について検討された。この中で、鎌田洋昭氏から考古学的には南九州との共通点、相違点があるが、出土の状況などから現状では評価が困難であること、井村隆介氏からは古地形を含む古環境はトラカ列島付近の北で大きな相違があったと想定されること、海部陽介氏から現在港川人の再検討途上ではあるが、港川人は九州以北の縄文人には似ておらず、アボリニジなどのオーストラロメラネシアンに共通することなどが指摘された。さらに、西村昌也氏は南西諸島などと東南アジアの旧石器は直接石器群の内容を議論するような共通性はないこと、利用石材、行動などに基づく石器変異を前提に文化的系統の議論を行う必要があることなどを指摘した。第2は「後期旧石器時代後半期と韓半島」で、南九州における石器群の成立と変遷、火山噴火を中心とする自然災害と石器群変化、韓国を中心とする朝鮮半島との関連などが議論された。この中で、森崎一貴氏から西南日本においては共通した技術構造の変化が窺えること、井村氏から大規模噴火と小規模噴火では環境破壊の規模が大きく異なり、人間の生活様式に与える影響は大きく異なったと想定されること、藤木聡氏から考古学的にもシラス台地縁辺にあたる宮崎県側ではAT前後で遺跡分布、石材利用に変化が認められることなどが指摘された。また、朝鮮半島との関係では、張龍俊氏から交流には集団移住と技術情報の伝播の2種類があり、剥片尖頭器については九州の石器群の状況から後者の可能性が高いこと、松藤和人氏からは剥片尖頭器の出現を考えるとき九州地方に特徴的な石器型式や石器群が韓国側になく、逆に韓国と共通形態の掻器が九州川に存在する事実は重要で、朝鮮半島から九州への流れを想定できることなどが指摘された。第3は「細石刃石器群と縄文化」で、南九州に特徴的な畦原型、加治屋園型細石核の成立の背景、更新世から完新世への環境変化について議論された。前者では、松本茂氏は石材や石材の供給パターンが関係する可能性があること、芝康次郎氏は畦原型と加治屋園型は分布や石器群構造に差があるが、現状では行動論的に成立背景を説明できないことなどを述べた。最後に、萩原博文、稲田孝司、小野昭、白石浩之の各氏にコメントが求められ、会が締めくくられた。
ポスターセッションは12本で、内訳は考古学7、関連科学3、関連科学との共同成果2である。製作技術論、編年論、遺跡形成論、周辺地域の研究成果、形質人類学研究、理化学的年代測定など幅広い発表内容であった。また、学会期間を通じて鹿児島県、宮崎県ほかの出土遺物の展示が行われ、熱心な観察・議論が続いた。